話の話

 ◆2020.03.21

httpから https への移行作業中、なぜ終活を一緒に行うのか、そのちぐはぐさが当方の個性?なのだろう。できるだけ何が写っているのか見ないようにしながら大量のアルバムから写真とセロファンを剥がし分別ゴミ袋に入れていった。2日かけて写真アルバムがあらかた片付いたところで不要な印刷プリント類に手をつけ始めた。あまり記憶にないビニール袋から、昔仕事で使った直筆のイラスト原画がたくさん出てきた。今時手書きのイラストは必要ないなとまとめてゴミ袋に入れようとしたときに、それらと一緒に別の透明なビニール袋が目に止まった。

大昔スウェーデンにご一家で移住した現代美術家/挿絵画家の直筆挿絵原稿10葉ほどと、もうどこかに消えてしまったとほぼ諦めていたこのイラスト?サイン?である。

ロシアのアニメーション作家 ユーリ・ノルシュテイン氏 /興味のある方はwikiでご確認ください。サインに記された日付は1995年10月25日。この日当方はあるCD-ROM出版を企画されている企業からの要請で臨席させていただいた。ユーリ氏はLD「アニメーション・アニメーション」のシリーズ(滝本さんに感謝)に収録されていたので名前も作品も知っていて、大変強い関心を持っていたが、その作家本人と直にお会いする日が来ようとは夢にも考えていなかった。この時の臨席者は4人。一人はユーリ氏、一人は企画担当者(故人)、一人は当方、そしてもう一人は高畑勲氏 /興味のある方はwikiでご確認ください。

その時、当方は高畑氏がどのような人なのか全く知らず、ユーリ氏の通訳の方としか認識しておらず、今思えば大変勿体無いことをしたと後悔?している。が、当方がユーリ氏だけを視野に入れて対応したのに好感を持っていただいたようで、このサイン?は当方からお願いしたものではなくユーリ氏の方から描いて下さったもの。

ユーリ氏の作品を見たことがある人ならばなるほどとご理解いただけるものと思いますが、少しだけわかった風な言葉を加えさせていただくと、いわゆるアニメーターの流暢な線画ではありません。輪郭線は一切ないといっても過言ではないでしょう。

大昔(1990年台初め)、小学館が主催し、毎月定例で開催していた「教育とコンピュータのシンポジウム」という出席者が30〜40人ほどの小さな会合があり、その第何回目だったか覚えていませんが、「身障者とコンピュータ」というテーマで障害者教育現場の先生方、義手や義足を作っている方、PCやワープロの開発現場の方、教育研究者などが意見交換をした会がありました。「肢体の不自由な児童は綺麗な文字や線を描けないことに劣等感を抱いて自らを主張したり表現することに積極的になれない。ワープロの登場によってその引け目が少なくなり、色々な面で積極性が養われている」という現場の先生方の言葉を聞いた時に、当時の当方はコンピュータ業界側にいることに束の間の安心を得たのは事実。しかし、小学館の会場を離れてすぐに気が付いてしまう。ワープロやCGソフトで描かれた綺麗な文字や線と、不自由な手指で描かれたぎこちない文字や線とでは、その性質や性格、相手にメッセージを伝えようとする意識の強弱は別物。ぎこちない文字や線に込められた思いを読み取り、理解し、助言?するのが指導者のより重要な役割ではないのかと。

つまり、ユーリ氏の描画の本質もそこにあると思うのです。(注 1)  ぜひユーリ氏の作品を見て感じてください。


この項を記すに当たって高畑氏の概略をチェックしました。ユーリ氏との交流も確認できましたが、影響を受けた作家としてフレデリック・バック「木を植える人」が挙げられていました。この作家もユーリ氏と同じLDのシリーズに収録されていて何度も見返していました。

ユーリ氏とフレデリック・バックとでは画面の作りも表情も全く異なる世界ではありますが大きな共通点があります。


(注 1)

ユーリ氏のぎこちない線やフレデリック・バックの描きこまない素描のような画面は、見る側の積極的な、そのキャラクターやストーリへの参加意識を求め、参加意欲を醸成・充足させるのです。

多分、高畑氏はそのことに注目していたのではないかと----(あくまで推測)。


当方がなぜその場に呼ばれたのか、それこそ「話の話」。

ユーリ氏のものだけではなく、メッセージ性のある作品(意図)をCD-ROM(メディア)化するには、メディア側から大声を発する (上から下げ渡す) のではなく、視聴する側が積極的にそのメッセージの主旨を理解・感得しようとする意識・意欲を引き出し、それを受け止められるストーリー構成(情報)を提供することが大切。という当方のメディア制作スタイルを採用してくれたもの?です。が、結局はこの企画そのものが実現しませんでした。残っているのはこのサインだけ。


当方は高畑氏の作品はもとよりジブリの作品もほとんど見たことがない稀有な日本人?。

でも近くの「トトロの森」には良く行くので、ジブリの上澄みだけを享受しているずるい者のようだ。