2011年8月のラオス行きは初めてベトナムのハノイ経由というルートであった。行きは団体だったが帰りは一人、乗り継ぎの時間を持て余し、ついつい土産物選びに現を抜かした。
元来買い物好きであるのだが、帰りは一人ということで極力機内荷物を減らすことに腐心していたのでラオスではほとんど買い物をしてこなかったというのもあり、乗ってしまえば重量を気にすることもないので免税店に並んでいるベトナム陶器に目を付けた。
このほかにも過去の土産物の中から手許にあるものを並べてみる。
2011年8月のラオス行きは初めてベトナムのハノイ経由というルートであった。行きは団体だったが帰りは一人、乗り継ぎの時間を持て余し、ついつい土産物選びに現を抜かした。
元来買い物好きであるのだが、帰りは一人ということで極力機内荷物を減らすことに腐心していたのでラオスではほとんど買い物をしてこなかったというのもあり、乗ってしまえば重量を気にすることもないので免税店に並んでいるベトナム陶器に目を付けた。
このほかにも過去の土産物の中から手許にあるものを並べてみる。
ベトナム土産ほか
※これらを持ってエンパイアステートビルに行くとペンダントにしてくれる。当時はお土産用にケネディーコインでペンダントを作るのが
流行っていたように思う。と言って上のコインはそのためのものではない。
ちなみに、2004年当時エンパイアステートビルの屋上では強力な電波障害(防御)のためにビデオやデジカメなどデジタル機器は全
く使えなかった。今はどうなっているのだろう。
人物は孫文 39mmと大きく重い