埼玉県所沢市
埼玉県所沢市
ガイコツ山の記録
こんな看板があるのをはじめて見つけた。「何を今更」という気がするが、一般的な嗜好では、何もしないよりは形ばかりでもやった方がいいという判断だろう。今更取りかかってもガイコツ山の自生種が生育する環境が戻らない限り、その種の再生や維持存続は不可能であろう。でも、以前のガイコツ山の自然や景観を整理してみようと思うきっかけにはなったようだ。
この「野草JP」全体が「ガイコツ山の自然の記録」そのものであるが、「景観」という上っ面にはあまり関心がなかった。でも、かなりの資料が揃うと思われるので、とっかかりとして今見えるところから、のんびりとはじめてみよう。
この看板の立っている辺りはギボウシとクモキリソウがたくさん見られる地域だった。こんなに明るくしたら再生は難しいだろう。
ここは元々軽トラックが入れるくらいの未舗装路が20年以上も前からあった。今は更に拡幅されてしまっているが、当時、道の両側はナギナタコウジュ、アキノタムラ、イヌコウジュといいったシソ科の野草の宝庫だった。
右の金網で仕切られた一帯はリンドウやコウヤボウキの貴重な自生地だった。10年程前に駐車場として伐採・整地されてしまい消滅してしまった場所だ
直上の左の写真のポールが立っているところは、20年程前は赤い鳥居がある小さな社だった。従って軽トラックも入って来れるのはここまで。そうした境界があることによってか、この写真右手、中段の写真の黒々と均された広大な地域は雑木が茂り、その降り積もった落ち葉を温床にしたシュンランの宝庫だった。また少し陽の当たるところには毎年のようにオカトラノオやフジバカマ、オトコエシ、様々なキク科の小花が姿を見せた。今でもキジの鳴き声を聞くが、30〜40年前はキジやコジュケイの親子を日常的に見ることが出来たし、マムシやアオダイショウもたくさん棲んでいた。
人は山や森をそしてそこに生きるケモノを畏怖し尊重してきた。どちらかが一方的に搾取してしまうと、いつか逆転することがあることを経験値として継承・伝承している山岳少数民族の人々の暮らしを数年に亘り、目(ま)の当たりにしてくると、彼らの賢さや優しさ、一方厳しさも良くわかってくる。それら学ぶとか次代に伝えるといった難しいことは頭の良い人たちに委ね、ガイコツ山を含め双方の現実をありのまま記録することが当方の趣味。仕事とか役割ではない。
当方も40年程前、山林を切り開いて造成された北中の住宅地の一画に引っ越して来た一人。先人面は笑われる。
この茶畑の縁の先が墓地造成の入り口。正面の薄っぺらな木立の下にガイコツ山のチゴユリが身を潜めている。
この木立の右手方向が西富小。正面奥側は20年程前に資材置き場として伐採され、数年前には数軒の住宅地に姿を変えた。
この造成地は工事の差し止めでしばらくこのままの姿を留めたが、2017年7月現在では資材置き場。数年もすると宅地に姿を変えるのは見え見え。貧乏人には10年も資金を寝かすことなど考えられないが、不動産業者にとっては地価の上昇=金利よりも確実に利に結びつく投資だろう。県や市から見たら山野のままより宅地にした方が税収が増す。それで道路を造れば一石二鳥。
このテープを張り巡らせているご婦人を見かけお話を伺ったのは年明け間もない1月7日だった。「現代美術の作品ですか?」と問いかけたところ、「そうだったら良いのだけれど」と前置きして、この老人介護施設の真向かいに残された小さな林を開発するために、僅かに生き残っている檜に穴を穿ち薬剤を注射して枯らそうとする行為から木を守るために、木に近づけないようにしているということだった。またこのご婦人やペットに対してもガス銃や毒餌で排除しようとする暴挙もお聞きしたが、それらはどこから見ても犯罪行為。素人が意見を挟む領域を超えている。当方はこのご婦人に何と声をかけてお別れしたのか覚えていない。
2012年春、北タイの山岳少数民族・白カレン族が森林を不要な開発・伐採から守る儀式を取材した概要を対比させておこう。
パレーキ村への坂道01_201508PYY
(youtube動画 1’26”)
2012年3月のブアッパーの記事へジャンプ
写真は祈りを捧げながら樹木に僧衣を巻く都会の大学生
白カレン族の姿勢を借りるならば、僧衣を巻くのも一つ。子どもたちに七夕の短冊に木を切らないでというメッセージを書いてもらい、それを木に巻くという方法もあるだろう。でも、日本ではそれが通用する精神文化はとうに廃れてしまっているからだめだろうナ。
樹を守るテープが獲物を捕らえるためのクモの糸のように縦横にはり巡らされ光っている、もう立派な現代美術の作品になっている
住協の宅地開発現場のすぐ脇に立つ小学児童のメッセージ杭。この数メートル奥に咲いていたギンランの花芽がちぎられていた。
この子どもたちのメッセージが届かない?この子どもたちのメッセージでは意味がない?
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オオタカの営巣地を見にきた。いつ始められたのか、いつも営巣していると言われた木を含む一帯の樹木が刈り払われ、見るも無様なガイコツ山になっていた。オオタカの観察小屋でも作るのかな----。日和見爺いは見て見ぬ振り。
住協の宅地開発現場と上の?開発現場をつなぐ林道。工事用車両を通すためにか拡幅され、小学校の子ども達のメッセージが記された杭が1本を残してなぎ倒されている。
住協の宅地開発現場と上の?開発現場をつなぐ林道。工事用車両のために敷かれた鉄板が、ガイコツ山を自然に戻すための再生実験場の境界を踏み荒らし、樹木をへし折っている。
ガイコツ山が江戸時代に入植した人たちの手による人工林であること。20〜25年間隔の循環型林地利用であったことなど、キウイ栽培をされていた鹿島さんのお話を思い出した。
※2019.05.04記:少し前に人からお聞きした噂。ここはガイコツ山の地味に富んだ土を採取・販売し、穿った穴には建築現場の排土を有償で受け入れ埋め戻している現場らしい。相当な面積であると言いながら、そういった目的から見たらあっという間に掘り尽くし、持ち込まれた排土の山ができるだろう。排土を受け入れられなくなるとその会社は倒産して別の現場へと雲隠するらしい。オオタカは今年もこの近くに営巣して、上の写真のカラスたちがその卵を狙っている。このページ冒頭の所沢市の看板は何を意味しているのだろうか。お役所は看板を立てたらそれで「お仕事は完了!」のよう。それは日本国中どこへ行っても同じか。警鐘を鳴らせば民は畏る?いい国だ。
※2020年以降の記録にリンク